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東京高等裁判所 平成3年(行ケ)5号 判決

第一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本願第一発明の要旨)及び三(審決の理由の要点)は、当事者間に争いがない。

第二 そこで、原告主張の審決取消事由の当否を検討する。

一 成立に争いない甲第二号証(特許願書及び添付の明細書、図面)及び第三号証(手続補正書)によれば、本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果が左記のように記載されていることが認められる(別紙図面A参照)。

1 技術的課題(目的)

本願発明は、電子楽器において、自然のアンサンブル感をもつた楽音が得られるようにした音源装置に関する(明細書第二頁第一〇行ないし第一二行)。

多数の楽器が同一の旋律を演奏する音色を、アンサンブル効果又はアンサンブル音源と呼ぶ。このような音を作るために、遅延時間変調器を複数個並列に設けてこれに単一の楽音信号を印加し、各変調器に異なつた位相を持つ変調信号を加えて、各変調器に異なつたピツチの音を出力させ、これらの出力信号を混合する手段があつたが、実際のアンサンブル音に似ているとはいい難いものであつた。また、複数の発信器が出力する方形波や鋸歯状波を基に音を作り、これらを混合する手段も考えられるが、多数の発振器が必要であつて不経済である(同第二頁第一六行ないし第三頁第一〇行)。

本願発明の技術的課題(目的)は、従来技術の問題点を解決し、簡単な構造で自然のアンサンブル感に非常に近い音を作る音源装置を創案することである(同第三頁第一一行ないし第一三行)。

2 構成

本願第一発明は、右技術的課題(目的)を解決するために、その要旨とする特許請求の範囲第1項記載の構成を採用したものである(手続補正書第三枚目第二行ないし第一八行)。

別紙図面Aはその一実施例を示すものであつて、第1図のブロツク図において、1は鍵盤などの操作器により音高を表すデイジタル的な音高コードDKを出力する音階情報発生器、2はクロツク発生器(図示せず。)からのクロツク信号を分周してアドレスコードADRを出力する、プログラマブルなアドレスカウンタ、3は音源の波形情報を記憶したメモリであつて、ADRにより指定されたアドレスに書き込まれているデイジタルコードS(波形のサンプル値を表す。)を、音階に応じた周期で繰り返し読み出さすことができる。このようにして読み出された波形サンプルSは、デイジタルアナログ変換器(図示せず。)によつてアナログの波形信号に変換されて、楽音信号となる(同第三頁第一五行ないし第四頁第一一行)。

従来技術は、メモリに記憶する楽音波形のサンプル数を六四~一二八程度とし、これに楽音信号の基本周波数に対応する周期にして一周期分のみを割り当て、これを繰り返し読み出していた。これに対し、本願第一発明の実施例においては、楽音信号の基本周波数に対応する周期にして複数周期分を記憶させ、しかも、サンプル値として、単一の楽器の楽音信号でなく、その楽器が複数個同時に演奏された、いわゆる斉奏状態の楽音信号(第2図はその波形例)を用いている(同第四頁第一七行ないし第五頁第六行)。

斉奏は複数の楽器が同じ旋律を演奏するものであるが、複数の楽器のピツチは全く同一にはならないから、楽音波形はビート状になる。例えば、二つの楽器の斉奏ならば、周波数差(すなわち、ビート周波数の周期)で楽音波形が繰り返されることになる。したがつて、二つの楽器の基本周波数をf1とf2、周期をT1、T2とし、周期の比T1/T2が整数mとnの比m/nで表される場合は、周期T1の波がn波、周期T2がm波で、二つの波の位相が再び一致することになるから、サンプル値として時間長nT1(これは、mT2に等しい。)分の波形を記憶すれば、二音のビート状の楽音を完全に記憶したことになる(同第五頁第六行ないし第一七行)。

波形を切り取るときは、波形の微細構造に注意して、第3図に示すように、切取りの最初aと最後bが滑らかにつながるようにする必要がある(同第五頁第一八行ないし第六頁初行)。

しかしながら、複数の音色が互いに微妙に異なる場合には、一般に、明確な繰返し周期を見いだし難いが、左記のような方法を用いれば、サンプル値の始まり部分と終了部分を良好につなぐことができる(明細書第六頁第二行ないし第七頁第一一行)。

ア 個々の楽器の音を別々に録音し、これらを再生してミキシングする際に、個々の信号の再生速度を微妙に増減することによつて、切り取るべき区間の始まり部分と良く似た波形になるようにした箇所を切り取るべき区間の終了部分とした上、個々の信号をミキシングして前記始まり部分と終了部分の間をサンプリングする方法

イ 斉奏の演奏から所望の区間(第4図(a)のA~F)を切り取り、始まり部分(A~B)の音量を零から徐々に増加するように変調するとともに、終了部分(E~F)の音量を徐々に減少するように変調した上、始まり部分の音(A~B)と終了部分の音(E~F)を第4図(b)のように重ね合わせてエンドレス状にし、中間付近(C、D)で切断して、Dを始端、Cを終端にしてサンプリングする方法(こうすれば、A~B、E~F間は滑らかにつながるし、DとCは本来連続している部分であるから当然滑らかにつながり、繰り返し読み出しても波形の連続性が良好なサンプル値が得られる。)

3 作用効果

本願第一発明によれば、非常に簡単な構成で、自然のアンサンブル感によく似た楽音信号を読み出すことができる(同第八頁第一九行ないし第九頁初行)。

また、基本周波数により決まる周期の数倍以上の多周期のサンプル値を切り取つて記憶しているから、サンプル値を切り取る際に、始まり部分と終了部分が滑らかにつながる波形点を容易に見付けることができるので、より自然なアンサンブル音を作ることが可能となる(手続補正書二枚目第七行ないし末行)。

二 相違点<2>の判断について

原告は、本願第一発明が要旨とする「異なつた基本周波数を有する複数の楽音信号を混合した信号波形」(以下「アンサンブル波形」という。)が、複数の演奏者が斉奏することによつて得られる楽音の波形であることを前提とし、右楽音の波形は引用例2開示の技術の手法によつて得られる楽音の波形とは全く別異のものである、と主張する。

楽音とは、発音体が規則正しい振動をある時間継続するために、音の高さが確実に分かるような(あるいは、振動の変化が緩やかで、波形がほぼ規則的であるとみなすことができるような)音叉あるいは楽器が発する類の音をいうこと、楽音は周波数を異にする複数の部分音によつて構成されていること、楽音を構成する部分音のうち周波数が最も低いものを基音(フアンダメンタル)と呼び、基音の周波数を「基本周波数」と呼ぶこと、基音より周波数が高い部分音を上音(オーバートーン)と呼ぶこと、上音のうち、基本周波数の整数倍の周波数のものを倍音(ハーモニツクス)と呼ぶこと、管あるいは弦が発する楽音は、基音と規則的な倍音のみによつて構成されており、倍音の数及びその大きさによつて楽音の音色が決定されること、以上は技術常識に属する事項である。

しかしながら、成立に争いない甲第五号証によれば、引用例2(別紙図面C参照)に、「アンサンブル効果は、パイプオルガンにおいては二列ないしそれ以上のパイプ列を使用することによつて発生される。そのパイプの一つは呼称通り正しい八フイートの周波数に調律されているが、他のパイプはわずかに調子外れになつている。一つの鍵盤スイツチを圧下すると調子の合つたパイプと調子外れのパイプとの両方が鳴らされる。その結果生じるビート周波数は聴く者に最も快よいものとなる。同じか或いは本質的に類似の音質を持つた二組のパイプを使用したアンサンブル効果はダブリング(重音―doubling)として周知である。三ないしそれ以上の組のパイプを使用することによつてさらに複雑な効果が得られ、それによつてフルオーケストラのアンサンブル効果により近づけられる。従来の電子オルガンにおいては音名のとおり正しい調子の楽音発生器の代わりに、周波数のずれた複数の独立の発振器を使用してアンサンブル効果を得ていた。電子的に又は音響学的に結合されたとき、その結合された楽音発生器出力はアンサンブル効果を生じる。」(第三頁左下欄第一五行ないし右下欄第一五行)、「第2a図はアンサンブル効果を有しない楽音波形aを図示している。第2b図は第2a図の波形に比べて位相が進んだ第二の波形bを図示している。第2c図は波形aとbの和を図示している。第2d図はbと相似だが位相がさらに進んだ曲線dを図示している。第2e図は曲線aとdの和を示している。」(第五頁右下欄第一〇行ないし第一六行)と記載されていることが認められる。右記載によれば、アンサンブル波形の意味は、「異なつた基本周波数を有する複数の楽音信号を混合して得られる信号波形」であるというに尽きるといわなければならない。そして、そのようなアンサンブル波形を得る具体的手段として、本願第一発明の実施例は、前記のように「楽器が複数個同時に演奏された、いわゆる斉奏状態の楽音信号」(明細書第五頁第四行及び第五行)を採用し、一方、前掲甲第五号証によれば、引用例2開示の技術は、音名どおりの周波数の正弦波信号と、やや周波数がずれた正弦波信号を加え合わせることによつて求めたフーリエ成分をあらかじめ蓄積しておき、一組のフーリエ成分の数値をリアルタイムで別々に演算して、各々の振幅を求めるという構成を採用している(第四頁左上欄第五行ないし末行)にすぎないと認められる。しかるに、本願第一発明の特許請求の範囲には、その要旨とするアンサンブル波形がどのような手段によつて得たものであるか記載されておらず、まして、それが複数の演奏者が斉奏することによつて得られる楽音の波形に限定される旨の記載は存しないのであるから、原告の前記主張は本願第一発明の要旨に基づかないものであつて、失当である。

したがつて、引用例1記載の発明において、メモリに記憶するサンプル値を複数の基本周波数を有する複数の楽音信号を混合した信号波形にすることは当業者が必要に応じて容易になし得た、とする審決の相違点<2>に関する判断に誤りはない。

なお、原告は、引用例2開示の技術を引用例1記載の発明に適用し得ない理由として、引用例1記載の発明は単種類かつ単数の楽器の楽音の、信号波形一周期分をサンプル値としてメモリに記憶しておくことを前提とすることを挙げている。しかしながら、引用例1に審決認定の技術的事項が記載されていることは当事者間に争いがなく、右構成によれば、引用例1記載の発明は、メモリに記憶させたサンプル値を繰り返し読み出して処理するものであるが、サンプル値が「単種類かつ単数の楽器の楽音の、信号波形一周期分」でなければ作動しないものでないことは明らかであるから、原告の右主張も失当である。

三 相違点<3>の判断について

原告は、本願第一発明のメモリに記憶されるサンプル値がアンサンブル波形の周期の多周期分のものに限定され、アンサンブル波形の周期の一周期分のものを含まないことは疑いの余地がない、と主張する。

しかしながら、本願第一発明の特許請求の範囲において、素材となるアンサンブル波形から切り取られてメモリに記憶されるべきアンサンブル値に関する記載は、「異なつた基本周波数を有する複数の楽音信号を混合した信号波形のサンプル値のうち、前記基本周波数により決まる周期の数倍以上の多周期のサンプル値より切り取つた一連のサンプル値」、及び、「サンプル値の始まり部分と終了部分とがなめらかにつながるようにサンプル値を切り出す」という記載のみであることは、前記のとおりである。これらの記載のうち、前者の記載は、メモリに記載されるべきサンプル値の長さについて、混合される複数の楽音信号それぞれの基本周波数の周期との関連(すなわち、複数の楽音信号それぞれの基本周波数により決まる周期の数倍以上の、多周期であるべきこと)を特定しているが、複数の楽音信号が混合された結果として生ずるアンサンブル波形自体の周期との関連では、何らの限定もしていない。したがつて、本願第一発明のメモリに記憶されるべきサンプル値として、アンサンブル波形の周期の一周期分のものが除外されないことは、特許請求の範囲の文理解釈上、疑問の余地がないところである。

この点について、原告は、本願第一発明の特許請求の範囲には「メモリから自然のアンサンブル感をもつた楽音を読み出す」と記載されているから、本願第一発明のメモリに記憶されるべきサンプル値は、自然のアンサンブル感を生じさせるための要件の一つとして、アンサンブル波形の周期の多周期分のものに限定されることは明らかである、と主張する。

しかしながら、アンサンブル波形の意味が、異なつた基本周波数を有する複数の楽音信号を混合して得られる信号波形であることは前記のとおりである。したがつて、別紙参考図イあるいはロのように明確な周期性を示す信号波形といえども、アンサンブル波形にほかならない。したがつて、明確な周期性を示すアンサンブル波形と明確な周期性を示さないアンサンブル波形を対立する概念のように捉え、前者の周期は完全な「ビート」であつてアンサンブル音に類似する効果を示すにすぎないが、後者の周期は「ビート状」であつて自然のアンサンブル感を有する、という原告の主張には、合理的根拠がないといわざるを得ない。現に、本願明細書にも、斉奏の楽音信号がビート状になり、ビート周波数の周期で信号波形が繰り返されると記載されている(第五頁第六行ないし第一〇行)ことは、前記のとおりである。

そして、明確な周期性を示すアンサンブル波形ならば、メモリに記憶されるサンプル値の長さがアンサンブル波形の周期の一周期分のみであつても、これを繰り返し読み出すことによつてアンサンブル感を有する楽音を得ることが可能であることは、技術的に自明の事項である。したがつて、自然のアンサンブル感を生じさせるためにはアンサンブル波形の周期の多周期分のサンプル値が不可欠の要件であるという原告の主張は、採用することができない。

また、原告は、アンサンブル波形は厳密に同じ波形を繰り返さず明確な周期を示さない信号波形であるから、これを周期的に捉え周期の始まり部分と終了部分が滑らかにつながるように読み出すことが通常の手段では不可能であることを、本願第一発明のメモリに記憶されるべきサンプル値がアンサンブル波形の周期の多周期分のものに限定されることの論拠として主張する。

しかしながら、明確な周期性を示す信号波形といえどもアンサンブル波形の一つにほかならないことは前記のとおりであるし、そもそも、アンサンブル波形が厳密に同じ波形を繰り返さず明確な周期を示さない信号波形であるとしながら、同時に、メモリに記憶されるべきサンプル値がアンサンブル波形の周期の多周期分のものに限定されるということ自体、矛盾した主張といわざるを得ない。ちなみに、本願明細書に、「一般に複数個の音色が互いに微妙に異なる場合には(中略)明確な繰り返し周期は見いだしにくい」(第六頁第二行ないし第四行)と記載されていることは前記のとおりである。しかしながら、右記載は、同明細書に「この実施例では(中略)サンプル値としては、単一の楽器の楽音信号でなく、その楽器が複数個同時に演奏された、いわゆる斉奏状態の楽音信号を用いる。」(第五頁初行ないし第六行)とあるように、あくまで一実施例についての説明として記載されたものであり、このような場合にサンプル値の始まり部分と終了部分を滑らかにつなぐ具体的方法が二例開示されている(第六頁第六行ないし第七頁第一一行)にすぎないから、これをもつて本願第一発明におけるアンサンブル波形が厳密に同じ波形を繰り返さず明確な周期を示さない信号波形であることの論拠とすることはできない。

したがつて、本願第一発明のメモリに記憶されるサンプル値がアンサンブル波形の周期の多周期分のものに限定され、アンサンブル波形の周期の一周期分のものを含まないという原告の主張は採用することができず、本願第一発明においてメモリに記憶されるべきサンプル値はアンサンブル波形の周期の一周期分である場合も含むと解されるから相違点<3>は実質的な相違ではない、とした審決の認定判断に誤りはない。

四 以上のとおり、相違点<2>、<3>に関する審決の判断は首肯し得るものであるから、本願第一発明は引用例1、2記載の技術的事項及び周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたとする審決の認定判断は正当であつて、審決には原告が主張するような違法はない。

第三 よつて、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却する。

〔編注1〕本願は左のとおりである。

請求の範囲第1項に記載されている発明(以下、「本願第一発明」という。)の要旨

鍵盤などの操作器によつて音階を決定する情報を発生する音階情報発生器と、

クロツク信号を前記音階情報発生器の出力に応じて変換して、アドレスコードを出力するアドレスカウンタと、異なつた基本周波数を有する複数の楽音信号を混合した信号波形のサンプル値のうち、前記基本周波数により決まる周期の数倍以上の多周期のサンプル値より切り取つた一連のサンプル値を記憶し、このサンプル値が前記アドレスコードにしたがつて繰り返し読み出されるメモリと、

前記メモリの出力をアナログ信号に変換するデイジタルアナログ変換器とを備え、

前記メモリに記憶するサンプル値の始まり部分と終了部分とがなめらかにつながるようにサンプル値を切り出すことにより、前記メモリから自然のアンサンブル感をもつた楽音を読み出すようにしたこと

を特徴とする、アンサンブル音源装置

〔編注2〕本件における図面は左のとおりである。

別紙図面A

<省略>

<省略>

別紙図面C

<省略>

(他は省略)

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